Feb 11, 2015

四三 権中納言敦忠

Wikipediaによれば、「藤原 敦忠(ふじわら の あつただ、延喜6年(906年) - 天慶6年3月7日(943年4月18日))は、平安時代中期の公家・歌人。藤原北家、左大臣・藤原時平の三男。官位は従三位・権中納言。三十六歌仙の一人。通称は枇杷中納言・本院中納言」であり、「天慶5年(942年)には先任の参議4名(源高明・源清平・藤原忠文・伴保平)を越えて、一挙に従三位・権中納言に叙任されるが、翌天慶6年(943年)3月7日薨去。享年38」とのこと。
その短命もあってか、Wikipedia「右近」の項では、「三八 右近」の恨み節の相手とも囁かれ、また、「美貌であり、和歌や管弦にも秀でていた」らしく、「『後撰和歌集』や『大和物語』などに、雅子内親王(醍醐天皇皇女、伊勢斎宮)ほか多くの女流歌人との贈答歌が残されている」と、そのもてっぷりも絶賛紹介されているのだから、……まあ、どうせいけ好かない歌を詠んでいるんでしょ、……いやいや、絶対そうに決まっている! と、我ら不細工衆によって、端から拗け心全開で百人一首を紐解かれたとしても、これはもう、しょうがないのではないか。
ということで、

四三 権中納言敦忠
あひみての のちのこころに くらぶれば             
      むかしはものを おもはざりけり

〈通釈〉 こうして逢ってからの今の苦しい恋心にくらべると、逢はぬ昔は大した物思いをしなかったのだなあ。
(任天堂株式会社『小倉百人一首しおり』)

ああ、もう、何て言うか、洒落臭え!