Dec 2, 2009
Vancouver Sumo
Vancouver Sumo is an entertainment between the hockey games. That is the hockey or the sumo on the ice, played with sumo-suit. Sometimes players wear skates and sometimes they don’t. Of course, the game without skates is much more comical like this.
(This video is enjoyable except that the logo of a car company is too large.)
Nov 29, 2009
「いやーよ、ばぶ」
波野イクラの例を引くまでもなく、典型的な喃語として流通している「ばぶ」という発音だが、実際に「ばぶ」と喋る乳幼児を見たためしはなく(そもそも乳幼児自体それほど見たことはないのだが)、いくら何でも(←イクラちゃんだけに!)「ばぶ」ばかりが喃語ではなかろうに……と引っかかっていた。そして、この極度に洗練された乳幼児らしさの表象には、歴史的な研磨がありそうだと睨んでいたのだったが、あに図らんや、今回、長旅恒例の夏目漱石再読において、近代小説誕生の頃に既に寸分変わらぬ使用がなされている事態を目の当たりにすることになった。
坊やちゃんもなかなか自信家だから容易に姉のいう事なんか聞きそうにしない。「いやーよ、ばぶ」といいながら雑巾を引っ張り返した。このばぶなる語は如何なる意義で、如何なる語源を有しているか、誰も知ってるものがない。ただこの坊やちゃんが癇癪を起した時に折々御使用になるばかりだ。「ばぶ」のオリジンの探索など弁当屋に任せておくとしても、作品に乳幼児が登場する、のみならず(擬人化されていない)セリフまで与えられている、ということは、ひょっとすると擬人化された猫よりもずっと現代的なのではなかろうか? ……単なる思い付きだけれど。
(『吾輩は猫である』 十)
May 8, 2009
The Time Traveler's Wife / Audrey Niffenegger
映画"The Time Traveler's Wife"は去年(2008)公開される予定のところが今年(2009)の8月に延びているようで、そもそも日本で公開されるかどうかは未定だそうだが、Audrey Niffeneggerの"The Time Traveler's Wife"を再読した。
本棚の本を並べ替えている途中にペラペラめくっていたら止まらなくなったわけで、この本は実際そういう魅力--宙吊り状態の解消のために次から次へと読み続けなければ収まらない--を有している。
自らの意志とは関係なくタイムトラベルしてしまう男の病気のため、女が初めて男と出逢うのは女が6才・男が36才の時なのに、男が女に初めて出逢うのは男が28才・女が20才の時だという、Girl meets boyとBoy meets girlの非対称を設定しただけでも、この小説は(些か漫画的なきらいはあるものの)際立っている。(2009/9/29発売で予約が始まっている新作の表題が"Her Fearful Symmetry"というのも、「対称⇔非対称」に関する偏執の継続を期待させる。……双子の話のようだが。→Simon & Schuster)。
ところで、"The Time Traveler's Wife"は、予定説的な世界観を推し進めたという点で、flash-forwardを多用したMuriel Sparkの"The Prime of Miss Jean Brodie"から補助線を引くことも可能かも知れないが、SFの枠組みに収まっているし、Daily Telegraphの評の通り、語りが"Utterly convincing"なため、良くも悪くも世界観自体が浮き彫りになることはない。
また「帰郷」の観点から眺めると、時間旅行をする夫という内容が内容だけに、当然のように、最終ページはHomerの"The Odyssey"で締め括られており、本文中でも『オデュッセイア』は、妻Clare側から1回、夫Henry側から1回、対称に計2回触れられている。
本棚の本を並べ替えている途中にペラペラめくっていたら止まらなくなったわけで、この本は実際そういう魅力--宙吊り状態の解消のために次から次へと読み続けなければ収まらない--を有している。
自らの意志とは関係なくタイムトラベルしてしまう男の病気のため、女が初めて男と出逢うのは女が6才・男が36才の時なのに、男が女に初めて出逢うのは男が28才・女が20才の時だという、Girl meets boyとBoy meets girlの非対称を設定しただけでも、この小説は(些か漫画的なきらいはあるものの)際立っている。(2009/9/29発売で予約が始まっている新作の表題が"Her Fearful Symmetry"というのも、「対称⇔非対称」に関する偏執の継続を期待させる。……双子の話のようだが。→Simon & Schuster)。
ところで、"The Time Traveler's Wife"は、予定説的な世界観を推し進めたという点で、flash-forwardを多用したMuriel Sparkの"The Prime of Miss Jean Brodie"から補助線を引くことも可能かも知れないが、SFの枠組みに収まっているし、Daily Telegraphの評の通り、語りが"Utterly convincing"なため、良くも悪くも世界観自体が浮き彫りになることはない。
また「帰郷」の観点から眺めると、時間旅行をする夫という内容が内容だけに、当然のように、最終ページはHomerの"The Odyssey"で締め括られており、本文中でも『オデュッセイア』は、妻Clare側から1回、夫Henry側から1回、対称に計2回触れられている。
CLARE: (...) Every day I work, but nothing ever materializes. I feel like Penelope, weaving and unweaving.
And what of Henry, my Odysseus? Henry is an artist of another sort, a disappearing artist. (p.274)
HENRY: (...) What an uncertain husband I have been, Clare, like a sailor, Odysseus alone and buffeted by tall waves, sometimes wily and sometimes just a plaything of the gods. (p.503)今、引用のためにページをめくっていたら、また読み始めそうになってしまった。"Her Fearful Symmetry"がとても楽しみ。
May 7, 2009
フトモモ科(Myrtaceae)
Apr 27, 2009
秋成私論 / 石川淳
上海の芸術家Yang Fudongの映像作品「断橋無雪」に引用されているという「白蛇伝」から、上田秋成の「蛇性の淫」に繋がって、先日来、『雨月物語』を石川淳の『新釋雨月物語』片手に読んでいたのだが、ついでに「昭和三十四年六月二十七日、上田秋成沒後百五十年記念講演會にて。速記ノママ」と記された「秋成私論」に目を通す。
『雨月物語』に触れ、
『雨月物語』に触れ、
オバケが出て來ても、あの世へ行ったのがまたこの世へ戾って來てあの世へ行くという仕掛けではないのです。あの世へ行くという途中で出て來る。(…)これは實在の世界と未知の世界という二つの配置があって、同時にその双方に關係する、つまり論語にいう「両端をたたく」。端が二つあって、それを同時にたたかなければならない、そうしなければ世界像は完全につかめない。そういう世界觀です。というくだりがあり、昨今の私の興味からすると甚だ印象的だった。これまで様々な作品に対して着目して来た帰郷⇔再訪のサイクル、すなわち「この世」と「あの世」の反復運動ではなく、「ただ次元からいうと實在の世界とほとんど相似のようなところに別天地がある。未知の世界がある。」という「實在」と「未知」の並行世界の絶え間ない滲み合いという状態も確かに面白い。
Apr 13, 2009
Jasmine Green Tea / Fortnum & Mason
ミスタードーナツのフレンチクルーラー、satoのユンケル黄帝Lと共に、一時期の私を全面的に支えてくれたFortnum & Masonのグリーンティー(ジャスミン)に、再び愛着を覚えている。当時は飲み過ぎて汗がジャスミン茶の匂いになっていた(と信じていた)くらいだから(心が?)尋常じゃないが、華やかな匂いとさらりとした飲み口は温かくても冷たくても楽しめて一向に飽きさせない。
Apr 11, 2009
Seven Intellectuals in Bamboo Forest / Yang Fudong
8面スクリーンに落涙した"No Snow on the Broken Bridge (断橋無雪)"(2006)も含めて、Yang Fudongの作品をShanghART Galleryでまとめて拝見する。
どれも面白く一気に見終えてしまったのだが、なかでも、"Honey(蜜)"(2003)は淫靡で、なぜだか知らぬが脹ら脛がとてもエロ哀しい。
また"Seven Intellectuals in Bamboo Forest (竹林七賢)"シリーズもいい。"Seven Intellectuals in Bamboo Forest, Part V"(2007)は、Monty Pythonの"Restaurant Sketch"に匹敵するのではないか。いっそ『世説新語』でも読んで「竹林七賢」について考えようか。
どれも面白く一気に見終えてしまったのだが、なかでも、"Honey(蜜)"(2003)は淫靡で、なぜだか知らぬが脹ら脛がとてもエロ哀しい。
また"Seven Intellectuals in Bamboo Forest (竹林七賢)"シリーズもいい。"Seven Intellectuals in Bamboo Forest, Part V"(2007)は、Monty Pythonの"Restaurant Sketch"に匹敵するのではないか。いっそ『世説新語』でも読んで「竹林七賢」について考えようか。
Apr 9, 2009
プルースト『失われた時を求めて』を読む / 鈴木道彦
NHKラジオの為に早く家に帰らなければならないなんて、第1で21:30から「ラジオ名人寄席」をやっていた頃以来と言える。木曜日20:30-21:00のラジオ第2「プルースト『失われた時を求めて』を読む」は今日で二回目、やっぱり声っていいね。
Apr 4, 2009
あのときすきになったよ / 薫くみこ・さく 飯野和好・え
「アメフラシ」と聞いて真っ先に浮かぶ本は、私の場合、飯野和好の『くろずみ小太郎旅日記 その3 妖鬼アメフラシ姫の巻』なのだが、それでは飯野和好の絵本で取り分け印象的なものはと言えば、谷川俊太郎の『おならうた』になると思う。
……とは言え、薫くみこの『あのときすきになったよ』も捨て難い。「おしっこ もらしてばっかりいるから」「しっこさん(*)」と呼ばれている「きくち まりか」(表紙後方)と、「わたし」=「かさまつ ゆいこ」(表紙前方)の、東映任侠映画ばりの信頼形成のプロセスを生々しく描いた作品で、些かアナーキーな友情にじんと来ること間違いなしだ。
また、表紙でも髪型にその片鱗を表しているが、「しっこさん」のカチューシャはいい。
(*)「しっこさん」という響から、"Schicksal"という単語を思い出し、確かにShikko-san ist ihr Schicksal.だと、独り言ちる。
……とは言え、薫くみこの『あのときすきになったよ』も捨て難い。「おしっこ もらしてばっかりいるから」「しっこさん(*)」と呼ばれている「きくち まりか」(表紙後方)と、「わたし」=「かさまつ ゆいこ」(表紙前方)の、東映任侠映画ばりの信頼形成のプロセスを生々しく描いた作品で、些かアナーキーな友情にじんと来ること間違いなしだ。
また、表紙でも髪型にその片鱗を表しているが、「しっこさん」のカチューシャはいい。
(*)「しっこさん」という響から、"Schicksal"という単語を思い出し、確かにShikko-san ist ihr Schicksal.だと、独り言ちる。
Apr 2, 2009
アメフラシ
さる学会のプログラムを眺めていて、アメフラシの(察するに工業的な)活用を目論む研究を発見したのだが、なぜよりによってアメフラシなのか皆目見当が付かなかった為、Wikipediaで「アメフラシ」を引いた。……勿論、最初はちゃんと工業利用のヒントを探していたわけだが、やがて目にした彼らの「生態」に関する記述に動揺し、しばらく現を抜かしてしまう。Wikipedia曰く、
ぼんやりとミシェル・ウエルベックの小説が脳裏に浮かんだ。『闘争領域の拡大』から『ある島の可能性』まで変奏される、性的行動の「差異化システム」による苦しみの解決として、SFも良いけれどこういう出口も有り得るのではないか、などと……。
雌雄同体で頭の方に雄の生殖器官を、背中に雌の生殖器官を持つ。前方の個体の雌の器官に、後方の個体が雄の器官を挿入するといった形で、何個体もつながって交尾する。このような交尾形態は「連鎖交尾」といわれる。「1」(無性生殖や雌雄同体の自家受精)でもなく、「2」(雌雄異体や雌雄同体でもカタツムリなどのように「2個体が行き違うように逆向きに並んで、互いの精子を雌性器に注入し合う」(Wikipedia))でもない、「多」による「連鎖」というところが斬新だ(……単なる「乱交」じゃなくて、その直線性は寧ろ「ジェンカ」に近い)。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
ぼんやりとミシェル・ウエルベックの小説が脳裏に浮かんだ。『闘争領域の拡大』から『ある島の可能性』まで変奏される、性的行動の「差異化システム」による苦しみの解決として、SFも良いけれどこういう出口も有り得るのではないか、などと……。
Mar 21, 2009
戦争がつくる女性像 / 若桑みどり
昔、『マニエリスム芸術論』で大いに薫陶を受けた若桑みどりの『戦争がつくる女性像』を読む。戦時下の母性政策について、年表をざっと通観するくだりがあるのだが、そのなかで興味深い一節に目が留まった。
出産や母性保護の具体的な施策だけを追っていくと、何よりも重要なのは日中戦争が始まった翌年の昭和一三年(一九三八)一月に厚生省が設置されたことである。(…)八月には長野県新田村の処女会が全員満州移民の花嫁になるという会則を決めた。いかにもこの八月の記述は無防備で、明晰な文法と裏腹に「八月」「長野県」「新田」「村」「処女」「会」「全員」「満州」「移民」「花嫁」「会則」という強い単語が視界を覆い、ぼんやりとした、極めて文学的な薄暗がりを形成している(…これらの単語から想起される固有名詞だけを並べても、ウィリアム・フォークナー、草間彌生、天沢退二郎、フランツ・カフカ、マルセル・デュシャンなどが浮かぶではないか)。なかなか出来る芸当じゃない。
Mar 11, 2009
帰郷者 / ベルンハルト・シュリンク
ベルンハルト・シュリンク『帰郷者』(11/30)、ユーディット・ヘルマン『幽霊コレクター』(12/17)と、昨年末に立て続けに発行されていた松永美穂訳の内、未読だった『帰郷者』を読む。全篇にホメロスの『オデュッセイア』が縦糸のように織り込まれているのだが、とりわけ、アイデンティティを変えて戦争責任を逃れ、アメリカで学者になっているド・バウアーの講義としての、『オデュッセイア』への言及に興味を覚える。
オデュッセウスは家へ帰ろうと努力しているのではなく、(……)彼は自分の決心ではなく、神々の忠告に従って帰郷する。(……)オデュッセウスは本当の意味で帰郷したわけではなかった。彼はすぐにまた旅立たなければいけない。
Feb 1, 2009
断橋無雪 / ヤン・フードン(楊福東)
アヴァンギャルド・チャイナ - <中国当代美術> 二十年 - に行く。ジャン・ペイリー(張培力)の、洗面器で鶏を延々と洗い続けるビデオ・アート<ドキュメント:衛生No.3>も(如何にもで)良かったが、ヤン・フードン(楊福東)のヴィデオ・インスタレーション<断橋無雪>の、8面のスクリーンに次々に浮かんでは消える断片にはやられる。(記憶可能な)数種類に限定された印象的な風景・小道具(小舟など)・人物が組み替えられて、8面スクリーンを渡ってゆく。残像との間に僅かなずれ(風景のずれ・小道具のずれ・人物のずれ・時間のずれ・そしてスクリーンのずれ)を起こしながら反復される断片は、正に行きつ戻りつ漂う小舟のようで、さながらジャック・リヴェットの『セリーヌとジュリーは舟で行く』を思わせた……と言えば誉め過ぎだろうか? 宋の時代の悲恋「白蛇伝説」を引用しているとのことで、白蛇の化身の女が人間の男と恋に落ちて夫婦となり、正体が知られて退治されるという異類婚姻譚「白蛇伝」なのだと思うが、どういう引用なのかは勿論良く分からないし、分かる必要もないものの、「白蛇伝」について知りたくなる。取り敢えず、南條竹則の『蛇女の伝説』と上田秋成の「蛇性の淫」を読むこととする。
Jan 19, 2009
オリバーソース / お好み焼ソース関西
遅ればせながら私もソースの魅力に目覚めて、ここのところ折を見ていろいろ試していたのだが、このほど素晴らしいソースに遭遇した。郷愁を誘って止まない「コーミこいくちソース(値段は高いがいい味です)」の汎用性とは対照的な、非常に専門性の高いソース、オリバーソースの「お好み焼ソース関西」だ。この甘み、そして、絶妙なスパイス(←Helaのカレースパイスケチャップを思わせる)は、キャベツにかけるともう止まらない。流石、日本で初めて家庭用にお好み焼専用ソースを発売したオリバーソース、作った人は、屹度キャベツのことしか考えていない。恐らく死ぬほどキャベツを食べながら商品開発に取り組んだに違いないのだ……と、こちらも死ぬほどキャベツを食べながら感動する。「たったひとつの味で、すべてを変えてしまうことができるのです」という会社のポリシーも骨太で格好良い。


Jan 18, 2009
ルート(女ともだち) / ユーディット・ヘルマン
昨年来、Judith Hermannの"Nichts als Gespenster"をのろのろと読み進めて来たのだが、12/30発行で松永美穂の訳『幽霊コレクター』が出ていたので、当然のことながら瞬時に飛び付いた。
その最初の短編「ルート(女ともだち)」は、「もうずっと前からの友だち」であるルートと「わたし」の、「アパートをシェア」していた頃と、引っ越したルートを「わたし」が「訪ねていったとき」を交錯させながら、ルートの恋した男ラオルと「わたし」の密会を描いている。
長年の女友達(必然的に妙齢)の現在と過去を行き来する手法に、安直ながらサリンジャーの「コネティカットのひょこひょこおじさん」を想起させられた。ラオルとの密会後に「本のなかに栞としてはさんだまま」だった昔のルートのメモを読むという結末も、エロイーズが「一年のとき」の思い出を語り「あたし、いい子だったよね?」と確認している場面で締め括る「コネティカット……」に通じるのではないか。もっとも「コネティカット……」のほうが格段に感傷的だが。
さて、それはともかく、ラオルに関する、
その最初の短編「ルート(女ともだち)」は、「もうずっと前からの友だち」であるルートと「わたし」の、「アパートをシェア」していた頃と、引っ越したルートを「わたし」が「訪ねていったとき」を交錯させながら、ルートの恋した男ラオルと「わたし」の密会を描いている。
長年の女友達(必然的に妙齢)の現在と過去を行き来する手法に、安直ながらサリンジャーの「コネティカットのひょこひょこおじさん」を想起させられた。ラオルとの密会後に「本のなかに栞としてはさんだまま」だった昔のルートのメモを読むという結末も、エロイーズが「一年のとき」の思い出を語り「あたし、いい子だったよね?」と確認している場面で締め括る「コネティカット……」に通じるのではないか。もっとも「コネティカット……」のほうが格段に感傷的だが。
さて、それはともかく、ラオルに関する、
彼は見栄っ張りで(彼女はそう言って笑った)、ある意味子どものようなところもあるそうだ。彼はシェイクスピアの「テンペスト(あらし)」でキャリバンの役を演じ、毎晩観客を沸かせていた。という描写で、またしても『テンペスト』のキャリバンに遭遇する。
TP 1 / Braun GmbH
純粋なる形象 ディーター・ラムスの時代-機能主義デザイン再考の展示を観る。長年に渡りブラウン社で製品のデザイン・監修をして来たディーター・ラムスの回顧展なのだが、私のドイツ関係虎の巻"Tatsachen über Deutschland"にも載っている、ラジオ・レコードプレーヤー複合機のSK 4(愛称「白雪姫の棺(Schneewittchensarg)」)は、やはりシュッとしていて美しい。また1959年のTP 1ポータブルラジオ・レコードプレーヤーの、携帯性を考慮した(通常のアームで針を落とすタイプではなく)内側から針が出てくる機構に感銘を受ける。鉄の処女(Eiserne Jungfrau)を想起させられた……と言えば、気を悪くするだろうが。
Jan 5, 2009
Revisited
蓮實重彦『ゴダール マネ フーコー──思考と感性とをめぐる断片的な考察』と高橋源一郎『いつかソウル・トレインに乗る日まで』を、ひとまず私が着目している「帰郷」という切り口で捉えてみると、「一九九五年八月三日木曜日午前八時一五分」のゴダール家の方への飛行に始まり、「二〇〇六年七月二日日曜日午後一一時二五分」のポンピドゥー・センターの「ユートピアへの旅、ジャン=リュック・ゴダール、1946-2006──失われたテレオマを求めて」からの飛行に終わる『ゴダール マネ フーコー──思考と感性とをめぐる断片的な考察』は、一見、ゴダールへの旅立ちとゴダールからの帰郷という構図に収まっているかのように見える、が、勿論、日付からも容易に推察される通りこの旅立ちと帰郷は精確に対をなしてはいない。また「一九八〇年」と「二〇〇四年」にソウルへ行く『いつかソウル・トレインに乗る日まで』には、そこからの帰郷は約束されていない。……しかし、これらの2冊が「帰郷」の物語と全く無縁ではないことはその往復運動に明らかで、恐らく、これらは「帰郷」と偶奇の関係をなしている「再訪」の物語なのではなかろうか。Evelyn Waughの"Brideshead Revisited"やScott Fitzgeraldの"Babylon Revisited"、Bob Dylanの"Highway 61 Revisited"も含めて、"Revisited"について少し考えることとする。
Jan 4, 2009
思考と感性とを
かつて頼まれもしないのに読み耽った高橋源一郎と蓮實重彦の名が(表の右上に横書と縦書で)記された『いつかソウル・トレインに乗る日まで』と『ゴダール マネ フーコー──思考と感性とをめぐる断片的な考察』という本が、昨年のそれぞれ11/10と11/20に発行されたので、追っかけコーラス的な効果をねらって、几帳面に当初の10日の間隔を保って読んだ。そこに綴られた物語もさることながら、当方が勝手にピッチを合わせて同期した2冊の本の対照と、脳裏によみがえる過去の幾多の作品との遠近法とを介して、読書中、(多分)素直にも思考と感性とをめぐるぼんやりとした着想が浮かんでいたのだが、これをちゃんと表現するには(……「ちゃんと」でなければ表現しないに越したことはない着想だろうし)多くの作業が必要で、この現場から少し離れたほうが上手く行くのではないか、といつも通り先送りする。
Jan 3, 2009
地下鉄
地上を走る地下鉄に乗って、地下鉄が地上に出るのは、いつもいつの間にかではなかったか? などと考えてみる。「地下鉄は行く地下鉄は行く」(Tujiko Noriko "NO ERROR IN MY MEMORY")と、声に出さずに。
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