出産や母性保護の具体的な施策だけを追っていくと、何よりも重要なのは日中戦争が始まった翌年の昭和一三年(一九三八)一月に厚生省が設置されたことである。(…)八月には長野県新田村の処女会が全員満州移民の花嫁になるという会則を決めた。いかにもこの八月の記述は無防備で、明晰な文法と裏腹に「八月」「長野県」「新田」「村」「処女」「会」「全員」「満州」「移民」「花嫁」「会則」という強い単語が視界を覆い、ぼんやりとした、極めて文学的な薄暗がりを形成している(…これらの単語から想起される固有名詞だけを並べても、ウィリアム・フォークナー、草間彌生、天沢退二郎、フランツ・カフカ、マルセル・デュシャンなどが浮かぶではないか)。なかなか出来る芸当じゃない。
Mar 21, 2009
戦争がつくる女性像 / 若桑みどり
昔、『マニエリスム芸術論』で大いに薫陶を受けた若桑みどりの『戦争がつくる女性像』を読む。戦時下の母性政策について、年表をざっと通観するくだりがあるのだが、そのなかで興味深い一節に目が留まった。
Mar 11, 2009
帰郷者 / ベルンハルト・シュリンク
ベルンハルト・シュリンク『帰郷者』(11/30)、ユーディット・ヘルマン『幽霊コレクター』(12/17)と、昨年末に立て続けに発行されていた松永美穂訳の内、未読だった『帰郷者』を読む。全篇にホメロスの『オデュッセイア』が縦糸のように織り込まれているのだが、とりわけ、アイデンティティを変えて戦争責任を逃れ、アメリカで学者になっているド・バウアーの講義としての、『オデュッセイア』への言及に興味を覚える。
オデュッセウスは家へ帰ろうと努力しているのではなく、(……)彼は自分の決心ではなく、神々の忠告に従って帰郷する。(……)オデュッセウスは本当の意味で帰郷したわけではなかった。彼はすぐにまた旅立たなければいけない。
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