この定番作品に難癖を付けるつもりなど毛頭なく、いや、それどころか「どようび、あおむしの たべたものは なんでしょう。チョコレートケーキと アイスクリームと ピクルスと ……(p.17,18)」の見開きが見たくてしばしば項を繰るほど好きなのだが、通読するたびに浮かぶのは、他でもない、「最後の3ページって本当に必要?」という疑問だ。「……ちっぽけだった あおむしは、ほら、こんなに おおきくて、ふとっちょに なったのです。(p.21)」と「まもなく あおむしは、さなぎに なって なんにちも ねむりました。……(p.22)」が隣り合っているページを捲ると、もう「「あっ ちょうちょ!」あおむしが、きれいな ちょうに なりました。(p.23,24)」なのだから、如何にも早い。お~い、まだ心の準備が出来ていないよ~というものだ。この味気なさは、勿論、力点が「はらぺこ」におかれている証なのだろうが、そのくせ、ちょうちょになった最終ページはそれなりにゴージャスな見開きになっており、数多の変態譚の構造を踏襲している。しかし、既に読者は(恐らく作者も)「……ちっぽけだった あおむしは、ほら、こんなに おおきくて、ふとっちょに なったのです。(p.21)」のページで一度クライマックスを迎えているのだから、これは単なるアリバイにしかならない。これら全てが計算された構造ではなく(当然、それでも構わないのだが)、普通の変態譚を書こうとして、ついつい「はらぺこ」部分に興が乗ってしまった帰結だったとしたら、なんて素敵なことだろう!
Oct 14, 2008
Oct 9, 2008
文学部をめぐる病い / 高田里惠子
高田里惠子の本は、かねてより図書館で立ち読みしては戻し(さりとて借りず)を繰り返していたものだが、今回、長旅の列車で『文学部をめぐる病い』と『グロテスクな教養』を立て続けに読んだ。『文学部……』は「アウトサイダー(ただし自称)」という爽やかな罵倒用語に出会えただけでも大いなる収穫だと言える。また『グロテスク……』では、本題と関係ない上に孫引で申し訳ないが、『百年の誤読』という本から引用された豊崎由美の発言、「一行に二回ぐらいずつ<よりよく>って言葉が出てくる文章が延々と続くの。一、二ページで四十回近く出てきてる。まるで晩年の武者小路実篤のよう(笑)」に、必要以上に反応してしまう。当方、武者小路実篤に何の思い入れもないが、「武者小路実篤の反復」という紋切型を「晩年」から解放することによって、武者小路実篤を一気に消費し尽くせるのでは? という思いを強くする。早い話、彼は若い頃からずっとこうなのに、何でみんな晩年ばっかり取り上げるの! ってこと。(「お目出たき人 / 武者小路実篤」参照)。
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