Apr 27, 2009

秋成私論 / 石川淳

上海の芸術家Yang Fudongの映像作品「断橋無雪」に引用されているという「白蛇伝」から、上田秋成の「蛇性の淫」に繋がって、先日来、『雨月物語』を石川淳の『新釋雨月物語』片手に読んでいたのだが、ついでに「昭和三十四年六月二十七日、上田秋成沒後百五十年記念講演會にて。速記ノママ」と記された「秋成私論」に目を通す。
『雨月物語』に触れ、
オバケが出て來ても、あの世へ行ったのがまたこの世へ戾って來てあの世へ行くという仕掛けではないのです。あの世へ行くという途中で出て來る。(…)これは實在の世界と未知の世界という二つの配置があって、同時にその双方に關係する、つまり論語にいう「両端をたたく」。端が二つあって、それを同時にたたかなければならない、そうしなければ世界像は完全につかめない。そういう世界觀です。
というくだりがあり、昨今の私の興味からすると甚だ印象的だった。これまで様々な作品に対して着目して来た帰郷⇔再訪のサイクル、すなわち「この世」と「あの世」の反復運動ではなく、「ただ次元からいうと實在の世界とほとんど相似のようなところに別天地がある。未知の世界がある。」という「實在」と「未知」の並行世界の絶え間ない滲み合いという状態も確かに面白い。

Apr 13, 2009

Jasmine Green Tea / Fortnum & Mason

ミスタードーナツのフレンチクルーラー、satoのユンケル黄帝Lと共に、一時期の私を全面的に支えてくれたFortnum & Masonのグリーンティー(ジャスミン)に、再び愛着を覚えている。当時は飲み過ぎて汗がジャスミン茶の匂いになっていた(と信じていた)くらいだから(心が?)尋常じゃないが、華やかな匂いとさらりとした飲み口は温かくても冷たくても楽しめて一向に飽きさせない。

Apr 11, 2009

Seven Intellectuals in Bamboo Forest / Yang Fudong

8面スクリーンに落涙した"No Snow on the Broken Bridge (断橋無雪)"(2006)も含めて、Yang Fudongの作品をShanghART Galleryでまとめて拝見する。

どれも面白く一気に見終えてしまったのだが、なかでも、"Honey(蜜)"(2003)は淫靡で、なぜだか知らぬが脹ら脛がとてもエロ哀しい。

また"Seven Intellectuals in Bamboo Forest (竹林七賢)"シリーズもいい。"Seven Intellectuals in Bamboo Forest, Part V"(2007)は、Monty Pythonの"Restaurant Sketch"に匹敵するのではないか。いっそ『世説新語』でも読んで「竹林七賢」について考えようか。

Apr 9, 2009

プルースト『失われた時を求めて』を読む / 鈴木道彦

NHKラジオの為に早く家に帰らなければならないなんて、第1で21:30から「ラジオ名人寄席」をやっていた頃以来と言える。木曜日20:30-21:00のラジオ第2「プルースト『失われた時を求めて』を読む」は今日で二回目、やっぱり声っていいね。

Apr 4, 2009

あのときすきになったよ / 薫くみこ・さく 飯野和好・え

「アメフラシ」と聞いて真っ先に浮かぶ本は、私の場合、飯野和好の『くろずみ小太郎旅日記 その3 妖鬼アメフラシ姫の巻』なのだが、それでは飯野和好の絵本で取り分け印象的なものはと言えば、谷川俊太郎の『おならうた』になると思う。
……とは言え、薫くみこの『あのときすきになったよ』も捨て難い。「おしっこ もらしてばっかりいるから」「しっこさん(*)」と呼ばれている「きくち まりか」(表紙後方)と、「わたし」=「かさまつ ゆいこ」(表紙前方)の、東映任侠映画ばりの信頼形成のプロセスを生々しく描いた作品で、些かアナーキーな友情にじんと来ること間違いなしだ。
また、表紙でも髪型にその片鱗を表しているが、「しっこさん」のカチューシャはいい。

(*)「しっこさん」という響から、"Schicksal"という単語を思い出し、確かにShikko-san ist ihr Schicksal.だと、独り言ちる。

Apr 2, 2009

アメフラシ

さる学会のプログラムを眺めていて、アメフラシの(察するに工業的な)活用を目論む研究を発見したのだが、なぜよりによってアメフラシなのか皆目見当が付かなかった為、Wikipediaで「アメフラシ」を引いた。……勿論、最初はちゃんと工業利用のヒントを探していたわけだが、やがて目にした彼らの「生態」に関する記述に動揺し、しばらく現を抜かしてしまう。Wikipedia曰く、
雌雄同体で頭の方に雄の生殖器官を、背中に雌の生殖器官を持つ。前方の個体の雌の器官に、後方の個体が雄の器官を挿入するといった形で、何個体もつながって交尾する。このような交尾形態は「連鎖交尾」といわれる。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
「1」(無性生殖や雌雄同体の自家受精)でもなく、「2」(雌雄異体や雌雄同体でもカタツムリなどのように「2個体が行き違うように逆向きに並んで、互いの精子を雌性器に注入し合う」(Wikipedia))でもない、「多」による「連鎖」というところが斬新だ(……単なる「乱交」じゃなくて、その直線性は寧ろ「ジェンカ」に近い)。
ぼんやりとミシェル・ウエルベックの小説が脳裏に浮かんだ。『闘争領域の拡大』から『ある島の可能性』まで変奏される、性的行動の「差異化システム」による苦しみの解決として、SFも良いけれどこういう出口も有り得るのではないか、などと……。