Jan 19, 2009

オリバーソース / お好み焼ソース関西

遅ればせながら私もソースの魅力に目覚めて、ここのところ折を見ていろいろ試していたのだが、このほど素晴らしいソースに遭遇した。郷愁を誘って止まない「コーミこいくちソース(値段は高いがいい味です)」の汎用性とは対照的な、非常に専門性の高いソース、オリバーソースの「お好み焼ソース関西」だ。この甘み、そして、絶妙なスパイス(←Helaのカレースパイスケチャップを思わせる)は、キャベツにかけるともう止まらない。流石、日本で初めて家庭用にお好み焼専用ソースを発売したオリバーソース、作った人は、屹度キャベツのことしか考えていない。恐らく死ぬほどキャベツを食べながら商品開発に取り組んだに違いないのだ……と、こちらも死ぬほどキャベツを食べながら感動する。「たったひとつの味で、すべてを変えてしまうことができるのです」という会社のポリシーも骨太で格好良い。

Jan 18, 2009

ルート(女ともだち) / ユーディット・ヘルマン

昨年来、Judith Hermannの"Nichts als Gespenster"をのろのろと読み進めて来たのだが、12/30発行で松永美穂の訳『幽霊コレクター』が出ていたので、当然のことながら瞬時に飛び付いた。
その最初の短編「ルート(女ともだち)」は、「もうずっと前からの友だち」であるルートと「わたし」の、「アパートをシェア」していた頃と、引っ越したルートを「わたし」が「訪ねていったとき」を交錯させながら、ルートの恋した男ラオルと「わたし」の密会を描いている。
長年の女友達(必然的に妙齢)の現在と過去を行き来する手法に、安直ながらサリンジャーの「コネティカットのひょこひょこおじさん」を想起させられた。ラオルとの密会後に「本のなかに栞としてはさんだまま」だった昔のルートのメモを読むという結末も、エロイーズが「一年のとき」の思い出を語り「あたし、いい子だったよね?」と確認している場面で締め括る「コネティカット……」に通じるのではないか。もっとも「コネティカット……」のほうが格段に感傷的だが。
さて、それはともかく、ラオルに関する、
彼は見栄っ張りで(彼女はそう言って笑った)、ある意味子どものようなところもあるそうだ。彼はシェイクスピアの「テンペスト(あらし)」でキャリバンの役を演じ、毎晩観客を沸かせていた。
という描写で、またしても『テンペスト』のキャリバンに遭遇する。

TP 1 / Braun GmbH

純粋なる形象 ディーター・ラムスの時代-機能主義デザイン再考の展示を観る。長年に渡りブラウン社で製品のデザイン・監修をして来たディーター・ラムスの回顧展なのだが、私のドイツ関係虎の巻"Tatsachen über Deutschland"にも載っている、ラジオ・レコードプレーヤー複合機のSK 4(愛称「白雪姫の棺(Schneewittchensarg)」)は、やはりシュッとしていて美しい。また1959年のTP 1ポータブルラジオ・レコードプレーヤーの、携帯性を考慮した(通常のアームで針を落とすタイプではなく)内側から針が出てくる機構に感銘を受ける。鉄の処女(Eiserne Jungfrau)を想起させられた……と言えば、気を悪くするだろうが。

Jan 5, 2009

Revisited

蓮實重彦『ゴダール マネ フーコー──思考と感性とをめぐる断片的な考察』と高橋源一郎『いつかソウル・トレインに乗る日まで』を、ひとまず私が着目している「帰郷」という切り口で捉えてみると、「一九九五年八月三日木曜日午前八時一五分」のゴダール家の方への飛行に始まり、「二〇〇六年七月二日日曜日午後一一時二五分」のポンピドゥー・センターの「ユートピアへの旅、ジャン=リュック・ゴダール、1946-2006──失われたテレオマを求めて」からの飛行に終わる『ゴダール マネ フーコー──思考と感性とをめぐる断片的な考察』は、一見、ゴダールへの旅立ちとゴダールからの帰郷という構図に収まっているかのように見える、が、勿論、日付からも容易に推察される通りこの旅立ちと帰郷は精確に対をなしてはいない。また「一九八〇年」と「二〇〇四年」にソウルへ行く『いつかソウル・トレインに乗る日まで』には、そこからの帰郷は約束されていない。……しかし、これらの2冊が「帰郷」の物語と全く無縁ではないことはその往復運動に明らかで、恐らく、これらは「帰郷」と偶奇の関係をなしている「再訪」の物語なのではなかろうか。Evelyn Waughの"Brideshead Revisited"やScott Fitzgeraldの"Babylon Revisited"、Bob Dylanの"Highway 61 Revisited"も含めて、"Revisited"について少し考えることとする。

Jan 4, 2009

思考と感性とを

かつて頼まれもしないのに読み耽った高橋源一郎と蓮實重彦の名が(表の右上に横書と縦書で)記された『いつかソウル・トレインに乗る日まで』と『ゴダール マネ フーコー──思考と感性とをめぐる断片的な考察』という本が、昨年のそれぞれ11/10と11/20に発行されたので、追っかけコーラス的な効果をねらって、几帳面に当初の10日の間隔を保って読んだ。そこに綴られた物語もさることながら、当方が勝手にピッチを合わせて同期した2冊の本の対照と、脳裏によみがえる過去の幾多の作品との遠近法とを介して、読書中、(多分)素直にも思考と感性とをめぐるぼんやりとした着想が浮かんでいたのだが、これをちゃんと表現するには(……「ちゃんと」でなければ表現しないに越したことはない着想だろうし)多くの作業が必要で、この現場から少し離れたほうが上手く行くのではないか、といつも通り先送りする。

Jan 3, 2009

地下鉄

地上を走る地下鉄に乗って、地下鉄が地上に出るのは、いつもいつの間にかではなかったか? などと考えてみる。「地下鉄は行く地下鉄は行く」(Tujiko Noriko "NO ERROR IN MY MEMORY")と、声に出さずに。