『大どろぼうホッツェンプロッツ』や『クラバート』で知られるオトフリート・プロイスラーの"Thomas Vogelschreck"を、ただのカカシ目線の牧歌的な農村賛歌だと油断して読み進んでいたのだが、最終章の殆どヌーヴェル・ヴァーグといった唐突な幕切れに度肝を抜かれた。確かに中盤からカカシとしての生の限界にやけに拘るとは感じていたが、トーマスが熱望した自由はこんなはずじゃなかっただろう! 少なくともこんなふうに他者から抗いようもなく与えられるものではなかったはずだ。カカシは大空に憧れてはいけないのか、それとも、これが本当の幸せなのか……。全く以てやるせない。
Nov 30, 2008
Nov 18, 2008
青い花 / ノヴァーリス
ノヴァーリス『青い花』では、とりわけ、ほとばしる衝動で肝心な部分がクシュクシュっと折り畳まれてしまうその作品行為に心打たれる。興奮すると声が裏返って逆にマイクに乗らない『日本の仁義』の野坂昭如のようだ。ここではクライマックスは決して演出されるものではなく、寧ろ全ての演出をご破算にする。しかし、それはより高次なクライマックスなのかも知れない(うっかりすると読み飛ばしもするが……)。それはともかく、洞窟で見付けた未知の言語の本の挿絵で、自分自身の人生が書かれていることに気付いたり、恋人と出会った日に早速、川に吸い込まれた彼女が青い水の下で秘密の言葉を吹き込む夢を見たりと、今や典型的と言わざるを得ないイメージの中、久しぶりに「帰郷」のテーマ(これまた典型的な「帰郷」観)に直面する。
不思議にみちたあの花が目の前に浮かんで見え、青年はたったいま背にしたテューリンゲンを、奇妙な予感を抱いてふりかえった。自分はこれから向かっていく世界からの長い遍歴を終え、いつかまた故国へもどってくるだろう、つまり自分はそもそも故郷へ向かって旅をしているのだ、という気がしたのだ。この出発の際に提示される帰郷についての伏線が、いかに回収されるものなのか/されないものなのかは、未完ゆえ知る由もないが、こういう円環のイメージは教養小説に一般的なものなのだろうか? 取り敢えず『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』を読み直してみようと思う。……それにしても、「思い出作り」の為に旅行に行くような、未来からの目線を意識した現在の消費は非常に現代的ではないか?
Nov 12, 2008
ENDING KISS / Tujiko Noriko
Tujiko Norikoの"ENDING KISS"は、分かり易く喩えるなら、Stina Nordenstamの"I Came So Far for Beauty"と"So Lee"とを足し合わせたものに、ゲルニカの「カフェ・ド・サヰコ」をふりかけたような名曲だと思う(最高に賞賛している、つもり……)。そして、Tujiko Noriko作品のご多分に漏れず、この曲の入ったアルバム『SOLO』も素敵な言葉に満ちているので、涙なしには聴けない。
電車に飛び乗る / セーフセーフ / どこへ行くかはすぐに思い出すつもりっ / とにかく口紅は完璧 / 地下鉄は行く地下鉄は行く ("NO ERROR IN MY MEMORY")なんて鳥肌が立つほど良い。私もどこへ行くかはすぐに思い出すつもりなのだが……。
Nov 5, 2008
かにふりかけ / 鳥取県
当方、幼少の時分よりふりかけを大いに好んだが、かつて旅先で何気なく購入した(恐らくご当地のものではない)「かにふりかけ」(昔から蟹に一切興味がないにも関わらず!)が殊の外旨く、以来、駅で土産の売り場を 見かけると / 棚に珍味のふりかけ 探すのさ、という悪習が身に付いた。……なんて、こんな戯れ言を漏らしているのも、今、唐突に、そして猛烈に「かにふりかけ」を食べたくなったからで、全く、問わず語りの / 心が切ないね。
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