波野イクラの例を引くまでもなく、典型的な喃語として流通している「ばぶ」という発音だが、実際に「ばぶ」と喋る乳幼児を見たためしはなく(そもそも乳幼児自体それほど見たことはないのだが)、いくら何でも(←イクラちゃんだけに!)「ばぶ」ばかりが喃語ではなかろうに……と引っかかっていた。そして、この極度に洗練された乳幼児らしさの表象には、歴史的な研磨がありそうだと睨んでいたのだったが、あに図らんや、今回、長旅恒例の夏目漱石再読において、近代小説誕生の頃に既に寸分変わらぬ使用がなされている事態を目の当たりにすることになった。
坊やちゃんもなかなか自信家だから容易に姉のいう事なんか聞きそうにしない。「いやーよ、ばぶ」といいながら雑巾を引っ張り返した。このばぶなる語は如何なる意義で、如何なる語源を有しているか、誰も知ってるものがない。ただこの坊やちゃんが癇癪を起した時に折々御使用になるばかりだ。
(『吾輩は猫である』 十)
「ばぶ」のオリジンの探索など弁当屋に任せておくとしても、作品に乳幼児が登場する、のみならず(擬人化されていない)セリフまで与えられている、ということは、ひょっとすると擬人化された猫よりもずっと現代的なのではなかろうか? ……単なる思い付きだけれど。