マルセル・ライヒ=ラニツキの『とばりを降ろせ、愛の夜よ』を読む。トーマス・マン、カフカ、ブレヒト、ムージル、デーブリーン、シュニッツラー、トゥホルスキーの「7人のパイオニア」について書かれたエッセイだ。現代ドイツの「文学の教皇」と聞いていたので、吉本隆明みたいなものかと想像していたが、なかなかどうして奥野健男のようだ。何というか下世話な感じが良い(……奥野健男って下世話だったっけ?)。とにかく、当節、この種の作者フェチっぷりは、かえってすがすがしいではないか。
「また、こんなことがあるとは。また、恋をするとは」とホテルのボーイについて書いた75歳のトーマス・マンの日記を引用し、「トーマス・マンの判断力はすでに曇っており」などと言いながら、仕舞いには「彼の恋愛体験はどれも彼の文学のなかに沈殿している」と締め括ってしまうライヒ=ラニツキを見ると、寧ろ、判断力を曇らしているのは、トーマス・マンの虜になったライヒ=ラニツキ自身ではないかと思えてしまう。引用された日記からは、トーマス・マンの「恋愛体験」が逆にトーマス・マン「文学」のまねをしているだけなのでは? という印象を受けるからだ。久しぶりにトーマス・マンが読みたくなる。