Jun 24, 2012

鬱金 -前篇-

ウコン。尾籠な話で恐縮……は一切していないが、うっかり大と間違えて(心の)水洗レバーを引いてしまいそうな名前のバラ科の植物である。そんなの飲んでまで酒飲まなくても……でおなじみのショウガ科の同名植物とは別物だが、桜で唯一黄色の花が咲くということで、名前は、そのショウガ科の方の根で染めた色「鬱金色」に由来しているらしい。



それにしても、「鬱金」という字面が良い。「鬱金色」の淡い黄色は、確かに、艶がなく思い屈した、メランコリックな金色という趣きだ。しばらく標札を眺めていると、「鬱金」という語感から、Neil Youngの"After the Gold Rush"という曲名がふと頭を過ぎり、早速albertine(当方のiPod)で同曲を出しながら、この感傷的な曲調は、傷付いた人々の個の救済に大いに貢献したに違いない、が、同時に、怒りから哀しみへ、諦めを肯定する反動的風潮の流布に遍く利用された感も否めないわけで……などなど、曇天空の下、文字通り鬱々と自己批判する羽目になる。



“Thinkin’ about what a friend had said / I was hoping it was a lie”とか口ずさみながら、図らずもMonty Pythonの"So much for pathos!"が浮かぶ。



John Dowlandの"Lachrimae Antiquae"について書いた時にも同様の問題に突き当たっていたのだが、melancholy songsをはじめとするメランコリックな表現がなぜ通俗的になりがちか? というのは、ひとつには、このように現状に違和感を抱きながらも泣く泣く受け入れるという、陶酔的な現状肯定の効用で、製作意図とは関わりなく制度維持に協力してしまうからではないか。
……しかし、反動的だろうが感傷的だろうが、どんな手段を使っても癒されなければならない人はいる。一方、安直に癒されている場合じゃないぞ! という人もいるわけで、またしても自己批判に戻ってくる。(つづく)