もしミゲルが、疑うことを学び、神をも仏をも信じない自由を悟り、そしていかなる宗派にも、いかなる藩にも属さず、キリスト教徒でも仏教徒でもない人間として長崎の町で人知れず生きて死んでいったとすれば、それは現代のわれわれにもっとも近い人間であった。(下p.424)
Jun 10, 2012
クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国 / 若桑みどり
少し前だが、若桑みどりの『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国』に読み耽った。「天正少年使節」の四人の少年の話である。1582年(天正十年)、九州のキリシタン大名によりヨーロッパに派遣された彼らは、各地で歓待され、教皇グレゴリオ十三世との謁見を果たしたのち、1590年(天正十八年)、禁教と迫害に向かう「変わり果てた日本(集英社文庫 下p.328)」に帰国する。プロローグで「この四人の少年の運命は日本の運命にほかならない(上p.19)」と書かれている通り、「日本に帰ったあとの四人の少年の苦渋と苦難(上p.19)」には胸を締め付けられるわけで、「マンショは四十二歳で病死した。マルティーノは国外追放となりマカオで死んだ。そしてジュリアンは潜伏し、長崎で殉教した。ミゲルがいつ死んだかはわからない。彼は棄教者となった。(下p.371)」ということになるのだが、取り分け、「第五章 ローマの栄光」の章で、早くも「帰国ののちにはじまる彼らの人生は、すべて、神父になるための、ラテン語を含めてのきびしい勉学と修業に費やされた。それを彼らはやり遂げたのだ。ただひとりを除いて。(下p.100)」と暗示されている「ただひとり」ミゲルの、「今は何も知られていない(下p.424)」、断片的な報告だけから浮かび上がって来る後半生像には、―分かりやすいところに、分かりやすく感じ入ってしまって申し訳ないが―、身につまされるという以上に 、切実なものを覚えた。